昨日私のデスクトップパソコンが壊れました。
おそらくビデオカードの限界でしょう。画面に異常が出て通常の画面で起動しません。
おそらくビデオカードを交換するか、ハードディスクを取り出して、別パソコンで読み出せばデータは救出できることでしょう。
しかし、思いました。
めんどくさいな。 と。
パソコンはDELLのデスクトップでOSはWindows Vistaです。
2007年に購入して、8年間持ってくれたので、頑張ってくれた方だと思います。
このパソコンを使い続けている間、私の保管しているファイルデータの容量は日々増えてきました。
外付HDDは、数TBの容量です。現在は普通のことです。
PC好きな友人などは、「俺の持っているデータは数TBを超えているぜ」と自慢げに言います。
しかし、思いました。
なんか違うな。と。
モノは物理的に置き場の制約があるため、断捨離を必要だと認識して実行している人は、私も含めて増えてきていると思います。
しかし、データに関しては、モノでいうところの倉庫にあたる、ストレージの容量が日々進化しています。
入手したデータを全て貯めておいても、まだ余裕があるだけのゆとりがあります。
それは日に日に加速していて、どんどん容量の大きいデータを持つことに慣れてきてしまってます。
今のHDDの容量がいっぱいになれば、また新しい外付HDDを買えばいいだけなので、そう考えるのは当然です。
しかも、「これだけ大量のデータを持っているんだ」という支配欲が満たされるのか、なぜか満足感すらあります。
でも、今回のようにデータの倉庫も突然故障することがあります。
モノと一番の違いはバックアップという手段を使えば確かに安全です。
しかし、さらに倍の大きさのストレージが必要になる上に、リアルタイムで同期させるシステムが必要です。
手持ちのデータの容量が増えていけば、バックアップの手間、必要なストレージの大きさはどんどん増えていきます。
そして、思いました。
結局のところ、これってモノと同じじゃなかろうかと。
増えれば増えるほど、管理の手間は増えていくし、お気に入りを探すのが難しくなってしまう。
何より半分以上のデータはもう二度と見ないものも混じってるんじゃないかと。
データも断捨離が必要じゃないかと。
もし大地震が来るかもしれない。そんな時にデータの全て入ったハードディスクを持ち出す余裕なんてありません。
写真、音楽、動画など、大量に持ってるけど、必要なのって意外と少ないんじゃない?
いらないものも結構混じってるんじゃない?
特に写真データで顕著だと思います。
フィルムのカメラからデジタルカメラになって、残り何枚取れるかを気にせず、とりあえずシャッターを切れるようになりました。
SDカードのデータ容量も大きくなり、旅行に行く際には数百枚取れる空きがないと落ち着かないくらいです。
でも必要なデータはもっと少ないはず。
二度と見ないデータは消してしまおう。
データの断捨離を実行しよう。
そう決意しました。