もしもマクドナルドの時給が1500円になったらどうなるだろう。
もしも最低賃金が1500円になったらどうなるだろう。
ある人は言う、「論理的に考えてそんな世界はありえない」「崩壊するよ」と。
確かに環境が変化すれば、悪化するべきことはたくさん考えられる。
現状より悪化しては意味がないから、「何が悪化するか」をまず重点的に考えるのが普通だ。
それでたくさん思いついた人は声高にこう言う。
「こんなに悪化することがたくさんあるから、こんな変化はやめるべきだ」と。
日本人は流されやすい。信じる人もいる。
確かに論理的に考えてそうだと納得する、頭のいい人もいる。
でも、そうなの?
環境が変化すれば悪化することは当然ある。
でもよくなることもあるんじゃない?
悪化することに対策ができれば全体としてよくなることも考えられるんじゃない?
こうゆう環境変化に対しての考え方って、いかに論理的かというよりも、いかに個人のアレルギー反応が大きいかだと思う。
論理的っていうよりも、最初にどう思ったか。
言い方を変えると、初見のイメージ、つまり偏見とも言えるものに、論理というか考えられる根拠を持ってきただけでしょ。
本当にいいのか悪いのか頭の中で考えることを拒否してる。
特に日本人はその気が強いよ。
iPhoneが出た時、本気で「正確なタッチができるわけがない」「日本にはガラケーがあるから、売れるわけがない」と思ってた人もいた。
それって「売れて欲しくない」「Appleが嫌い」っていう気持ちが単に現れただけでしょ。
それよりも「使ってみたら面白そうじゃないの?」って考える人の方が増えてきて、実際には普及した。
日本でサムスンが普及しないのも「韓国製品は日本製品より劣ってる」っていう20年前の感覚が抜けていないことが原因だと思ってる。
マクドナルドの件でいうと、
- 現在の企業の人の雇用は減る。
- 現状より機械化は進む。
これは事実だろう。しかし
- アルバイトの採用水準が上がる(意欲、サービスのレベルも上がる)
- 主婦、フリーターの給料が増える。
- 機械の需要が増える
これも事実だ。
デモをいちいち真に受けていたら、キリがない。
かといって、アレルギーで全部拒否してしまっていては進歩がない。
それをいかにも論理的に考えてるから否定するって思い込んでる人はタチが悪い。
まず、本当にいいのか悪いのか考えようよ。
そして、今より悪くなる点があるとしても、良くなる点も大きければ、悪くなる点を克服できるような、実現手段はないか考えようよ。
じゃないと温度が熱くなるカエルみたいに死んじゃうよ。
って、年金制度が崩壊に向かってるのに、変化を否定ばかりするから、崩壊する制度は結局続いてる現状はそうんなんだけどさ。